04/まどろみに花





 

 旧女王領で一斉に祝われた収穫祭も終わり、秋の盛りも過ぎたその日、花祝ぎの館では数人の住込みの使用人たちによって、旧女王領特有の風習、御魂迎えの夜祭の準備が進められていた。
 庭師と厩番は家の窓に森の木で作った簡素な動物の人形を置き、料理女中を筆頭とした女たちは、夕には訪ねてくるであろう村の子供たちへ配る焼き菓子の準備に余念がない。
 次々と焼き上げられる菓子の匂いは、館の裏庭で秋の花を腕いっぱいに摘んでいたアリーセの元まで届いてきた。デイジー、コスモス、とりどりの薔薇。棘で怪我をしないように長袖を着こみ、はしばみ色の長い髪を編んでまとめ上げ。領外の寄宿学校へ行って以来、こんなことはしていなかったから、飾り花冠にするための花々を集めるのは本当に久しぶりだった。
 御魂迎えの夜祭の日は、曰く死者が帰る日だという。
 先祖を迎えるために人々は家のあちらこちらを飾り、すべての扉に秋の花で編んだ花冠をさげる。
 そして日没とともに夜祭がはじまると、人々は普段の衣服の上にひとつだけ、それぞれとっておきの装飾品をつけて、夜通し語り明かすのだ。歌は歌わず、踊りも踊らず、静かに。けれど縁ある親類たちは皆、ひとつの家に寄り集まって、同じ時間を同じ場所でひそりと過ごす。帰ってきた祖霊に、くつろぎながらも自分たちの幸せを見て、安心してもらえるようにと。
 その夜祭の日の夕から夜にかけての時間は、十三までの子供たちが主役だった。彼らはこの日、悪霊除けにと異性装をして家々を回ることで、『無事に祖霊を導いてくれた』礼として、その家の女主人から菓子を貰う。
 今夜はその祭りの当日だったから、家人たちの気合も入ろうというものである。
「ねえ、それって、夜祭の飾りにするやつ?」
 腕いっぱいに花を抱えたアリーセに、裏庭の横の小道の先、厩の方からこちらへ歩いてきていたフローリアンが尋ねた。
「フロウ。お帰りなさい」
 フロウ、と。愛称で少年を呼ばわると、彼は「ただいま」と彼女に返す。ともに暮らし始めて半年以上の時間が過ぎ、いつしか二人の距離は少しずつ、柔らかなものへと変わっていた。
 今日はフローリアンは朝から夜祭用に魔除けと呼ばれる糸飾りを、リセトの家々へ馬を使って配っていたのだが、帰ってきたという事は、無事に祝福の言葉と共にそれぞれの家の家人へと託し終えたのだろう。
「そう。花冠用の花。でも、もういいかな。十分に量も種類も集まったし」
「へえ。結構な量、集めるんだね」
「まあ、この館扉多いし。小さな花冠にしても、全部使い切っちゃうんじゃない?」
 そんな風に会話をしながら、二人一緒に裏口から屋内へ入ると、焼き菓子の香りがますますあまく鼻先をかすめた。いったいどれほどの量を作っているのか。少し気になって通りがかりに食堂を覗くと、そこには机の上に並べられたいくつもの皿と、おしゃべりに花を咲かせながら、それを小さな袋に包んでいく家女中二人の姿があった。本来料理に携わるのは彼女たちの仕事ではないが、今日ばかりは朝のうちに仕事を終わらせ、二人も準備を手伝っていた。
「わあ……おいしそう」
 フローリアンが感嘆の声を上げる。
 すると女中たちもこちらに気づき、作業を中断して「花祝ぎさま」と顔を上げた。
「シュトューテンケアル、レープクーヘン、シュペクラテウス……こっちはシュトレン?」
 乗馬用の手袋を外しながら、フローリアンは焼き菓子の名前を次々と連ねていく。心なしか、目が輝いているように見えた。
「ねえ、ちょっと貰ってもいい? これだけあるんだし」
「少量なら、構わないと思います」
 女中の言葉に、彼はにっこりと笑んだ。手袋を外した片手を迷わせつつも皿に伸ばし、焼き菓子の一つを選んで口に運ぶ。あまりにも彼がおいしそうに頬張るものだから、基本的に甘味にさほど魅力を感じないアリーセも、少し何か口にしたくなった。
 けれどしばしの後にふと思いつき、アリーセは傍に居た家女中の一人に花束を預ける。花を水にさしてくるよう指示すると、もう一人の家女中に、いくつかのものを貯蔵庫と台所からとってくるように頼んだ。そして少しばかり裾や袖口の汚れてしまった服を着替えに一度二階にある部屋に帰り、身支度を整えなおして急ぎ食堂へかけおりる。彼女が再び戻ってきたとき、フローリアンはいくつめかの焼き菓子の最後の一口を、大切そうに口に含んだところだった。
 それと同時に家女中の一人もアリーセに頼まれたものを用意し終えて帰ってきた。彼女に礼を言い、火のついた暖炉のそばで準備を始めると、フローリアンが「何かするの?」と問いかけてくる。
「ちょっとね、カモミールミルク、作ろうかなって」
「なにそれ?」
「まどろみのしずくとか、眠りの前の飲み物とか、あなたもおぼえがあるんじゃない?」
 言いながら、アリーセは用意された暖炉用の鍋に、貯蔵庫から運ばれてきたばかりの干して乾かしたカモミールの花と、たっぷりのミルクを一緒に入れる。それだけ準備して小鍋を暖炉の火にかけると、フローリアンも何か思い出したように微笑んだ。
「グレーティアさまの、得意の花のミルクか」
 旧女王領でアリーセを育て、そしてフローリアンを領外からひきとった、先代の花祝ぎ。彼女はさまざまなものに、それぞれ夢をかきたてるような名前をいくつもつけて、その柔らかな声で愛おしげに呼んでいた。
 煮たてられるミルクが、カモミールの林檎に似た香りをまとってゆく。
 ほどよく暖まったところで鍋を火からおろすと、アリーセは準備されていたいくつかの陶器のカップに、祖母曰くの「花のミルク」をそそぎこむ。湯気がふわりと立ち上り、あまやかな香りとともに部屋に広がった。
「よければ、どうぞ」
「いいの?」
「お菓子だけじゃ味気ないでしょ?」
 それは幼い日に泣いてばかりいたアリーセに、祖母が与えてくれたまどろみの花の飲み物。懐かしい思い出に、少女がわずかに微笑むと、フローリアンは一瞬目を瞠り、そしてつられるようにしてふわりとやわらかく笑んだ。
「ありがとう」
 彼もカップを一つ取り、あたたかなそれを大切そうに両の手でつつみこむ。
 アリーセもすべてのカップへミルクを注ぎ終えると、「よかったら、あなたがたも休憩をどうぞ」と、女中たちへ声をかけ、彼女たちが手を休めるのを目に留めながら、自分もひとつカップを手に取る。
 暖炉のそばの椅子に座り、熱さをこらえてひとくちだけ口をつければ、舌にあたたかさとかすかなあまみが口の中に広がった。
「今日の御魂迎えが終われば、秋も終わるね」
 しみじみとしたフローリアンの声に、アリーセがふと顔を上げると、偶然に彼と目が合った。いつかのようにきつい視線のやりとりは交わされず、意外にも感じるゆるやかさはむしろ心地よい。
 窓の外、硝子越しにそびえる楓の木が、その葉をあかくいろづかせている。御魂迎えは秋の終わりと冬の訪れを告げ知らせる行事でもあるため、本当に、旧女王領の暦の上では、今日が秋の最後の一日だ。
アリーセも「そうだね」とまぶたを伏せると、「おばあさまは」と、静かに続けた。
「今年はまだ、眠れる御方の膝元で、亡神さまににお仕えなさるんだろうね」
「そう、かもね。御魂帰りの夜行に加わられるのは、ひととせの後だっていうし」
 その年に亡き人は、季節が一巡りするあいだを眠れる亡神の膝元で安らぐという。御魂迎えの夜祭にて、死せる者が家族のもとへ一夜の期間を遂げるのは、その死より一年は後のこと。昔からの言い伝えに、フローリアンは少しさみしげに嘆息した。
 日が暮れれば、子供たちがこの花祝ぎの館へも訪れ、夜祭がはじまるだろう。そしてきっと彼らは代々の花祝ぎの御魂を迎える。
 そこにアリーセの愛し、フローリアンの慕った、ふたりの育み手であるグレーティアがいなくとも、夜の明ける暁の時まで、祭りは平等に旧女王領に訪れる。
 それが、彼女の守った花祝ぎの系譜。その直接の血縁なき系統が、統治者としての女王亡き後も守り抜かれた、古い風習のひとつなのだから。