05/祝いとなみだ





 

 しんしんと、青き峰に粉雪の舞い降りる中、リセトは今は眠れる亡神の従者による言祝ぎとともに、新しい年の訪れを迎えた。
 リセトは祭司の村であると同時に、村の背にそびえる青き峰とその向こう側、つまりは眠れる亡神に殉じた大地を守る村でもある。村の木立から少しそれてしばらく行った場所に、峰へと続く森の入り口は広がっていた。森は普段は花祝ぎと、彼の人の許した者以外には閉ざされているが、定期的にある祭儀の日と、新しく一年を出迎える年末と年始それぞれの一週間は、常人もみな森へ入ることが許されている。
 もちろん、新しい年の一日目の夜が明ける、その間際である今もそうであるから、森に入ってから少し小道をたどった場所にある祭殿には、大勢の人々が参じており、祭儀は最後の大詰めを迎えていた。
「偉大なるかな、去れり女王よ」
 森の中にそびえる祭殿の建物の中でも、最も大きな礼拝の間。その最奥に設えられた、大窓に向く祭壇を前に、少年の声がたかく響き渡る。
「青き峰の養い子が今まさにまかりこしますは、今はもう、深く眠れる御方(おんかた)の膝元、そして水をも掌(し)れるあなたの御前」
 かん、と左手に持った儀礼用の槍の柄を床に打ち鳴らし、参列し祈りを捧げる民衆を背に、花祝ぎフローリアンは朗々と音を連ねた。
「眠らずの一夜を境界として、我らを慈しめる峰の統べ手のてのひらは、ひかりを燈し、実りを抱き、雪を紡ぎあげて花をほころばせた」
 唱えるとともに、音律を踏みながら槍の柄を床に打つ。かん、かん、かん、と、連続した三音が、まるで時を告げ知らせるかのように、規則的に紡がれた。
 祭壇に飾られた薄氷の鏡は、窓からそそぐ日の光に煌めいてまばゆい。
 頭上に花冠を、右腕には銀環を、足首の三連の飾りは青のとけこむ澄んだ硝子で、まとうは花祝ぎとしての正装、白と若葉に染め上げられた外衣。左手には装飾の緻密に刻まれた槍を手に、声をたかくふるわせて言祝ぎをうたい、少年は初めて、年明けの祭儀に臨んでいた。
 参列者は毎年、この祭儀に臨むことで新しい年の訪れを迎える。けれど今年、人々が迎えるのは正しくは新年だけではない。先の春に先代の死によって代替わりをした祭司、若き花祝ぎもまた、彼らが迎えるべき対象だった。年明けの祭儀は旧女王領の祭司が執り行ううち、もっとも重要な祭祀のひとつであるからして、新しい花祝ぎが民に正式に披露目られる場でもあるのだ。
 だからこそ、フローリアンもさすがに緊張していたし、参列席に座るアリーセからも、彼が神経を張りつめているのは見てとれる。
「かくて贈られた祝いに感謝を。そして、どうか死せざる王権よ、神と籠め封じられる御祖(みおや)よ。その恩寵を、過去の歳月にも施し給え」
 最後の一文を締めくくると、少年は慎重に、槍を持つ手にわずかに力を入れた。祭儀において最も重要な場がはじまる。
 祭司が太陽、あるいは月、もしくは星、つまりは時間に見立てた祭壇の氷鏡を槍で割り、これらを疑似的に殺すのだ。そしてこの死をもって年月の生まれ変わりとし、言葉通り、新しく生まれた一年間を迎え入れる。
 フローリアンは軽く呼吸を整えると、慎重に左手の槍を掲げ、ゆっくりと頭上で中空を薙ぐ。
 そして一拍の後に槍を持ち直し振り下ろせば、氷は見事、ぱりんと澄んだ音を立ててその形を散らせた。
 民衆の間から、ざわりと祝いの声、喜びの声があがる。
 ――彼は失態を演じることもなく、無事にその役目を全うした。そして、祭儀の終わったその後の時間は、とてもめまぐるしいもの。
 少年には言祝ぎを望む参列者たちひとりひとりに与える祝いだけでなく、訪れている領内の有力者たちや、少数の領外からの客人たちへのそつのない対応も求められた。やがて祭殿の中も人がまばらになり、すべてがひと段落つく頃には、さすがに彼も疲れ果てていた。いつの間にか近くに来ていたアリーセにも、話しかけられるまで気付かないほど。
「フロウ、おつかれさま」
 彼女の声に、フローリアンは驚いて振り向く。
「あ、うん。ありがとう」
 礼装のドレスをまとった、もはや見慣れた少女の姿に、彼はほっとしたように表情を和らげる。フローリアンは祭壇の傍らから、いまだその手に持ったままの儀礼用の槍を祭壇の近くの所定の場所に据え置き、そのまま一歩二歩とアリーセの方へ歩み寄る。
 銀環と、硝子と、そして花を体のいずこかに飾る。そして、まとう色は峰を守り封じる白と、贖罪の証にと芽吹く若葉。そう定められた花祝ぎの正装は季節ごとに簡単に分かれてはいるものの、この真冬には少しばかり暖かさが不足していた。そのため、フローリアンの顔色も、さきほどまで緊張していたのもあってあまりよくはない。
 アリーセがそんな少年をいたわるように「寒くない?」と問うと、彼は「実は少し寒い」と苦笑して答えた。
「じゃあ、正装、崩さないとしても、何か羽織った方がいいね。風邪をひいたら困るし」
 そう言うと、アリーセは折りたたんで片手にかけていた大きな厚手のストールを広げ、ふわりとフローリアンの肩にかけた。フローリアンは彼女に礼を言うと、羊毛でできたそれにしっかりとくるまった。ささやかではあったが、これだけでもだいぶ違う。
「あたたかい」
「そう? おばあさまの衣装箱から借りてきたの」
「へえ。……グレーティアさま、衣装持ちだったものね」
 納得したようにすこしはにかむと、アリーセもまた表情をやわらかくした。
 もう、祭殿には人も少ないし、一度休んでもいいだろう。そう思案した時のこと。
 祭壇のかたわらに居た彼らへ、服装からして王都のいずれかの聖堂より来たのだろう、おそらくは高位の神官が「もし」と声をかけた。温和な声の老人で、若い供を従えている。
「お初にお目にかかる。当代殿でいらっしゃるか」
 振り向いたフローリアンが一瞬戸惑うと、供の神官が「ペーテルゼンの聖堂より参りました。シーレ司教さまでいらっしゃいます」と、淡々と言った。
 ペーテルゼン。王領の著名な聖堂の一つだ。毎年、王領からは王の名代として、高位の聖職者が訪うと聞いていたが――彼がそうなのか。
「遠方よりよくお越しくださいました。フローリアンと申します。若輩者ではありますが、確かに先年、祭司の座を継承しました。新たな年を此度も迎えられたこと、嬉しく思います」
「これはご丁寧に。新たな年を此度も迎えられたこと、嬉しく思います。銀杖陛下よりの、書状を預かってまいりました。どうぞ、お納めくだされ。――書状を」
 緊張に焦りながらも慎重に受け答えたフローリアンに、司教は目を細めて返礼した。そして傍らに立つ、聖堂の司祭服に身を包んだ従者に声をかける。けれども、彼から返されたのは、書状の仕舞われた箱だけではなかった。
「こちらになります、祭司殿。……しかし、受け取られるならば、ただしく正装でお願いしますよ。陛下よりの書状です。礼節も守っていただかねば」
 アリーセから手渡され、羽織ったままだったストール。確かに、これは礼を欠いていた。「これは、失礼をしました」と、気付いたフローリアンが慌ててストールを肩から外してアリーセに渡せば、従者はまたも見下すように、「まったく――所詮は、田舎の土着信仰。長ですら、礼も義も知らずとみえる。これでは仕える神とやらも、程度が知れておりますな」と、シーレ司教へ嘲笑とともにささやいた。
 その言葉に、脳裏が白に染まる。
 ――旧女王領。青い峰のふもとに広がる、広大にして肥沃であった大地。けれど、今は森と湖、そして茨に覆われた銀杖王の所領。
 何百年も以前、青き峰を囲むようにしてこの地にあった誇り高き女王国は、一昼夜にして領土と臣民とともに、深い眠りについたとされる。真鉄(まがね)の時代の終わる日まで、我らはあえて弑されると、誓いの時は満ちたがゆえに、いま亡き御神に殉じると。そう、古き言葉ひとつを遺して。
 けれど隣り合う王国に縁付いていた女王家の末子が、祖国の選んだ選択を悼んだために、かくして隣国との国境からこのリセトまでの一画は、女王家の血を継ぐ者が代行として統治することを条件に、深き眠りからとりのこされて今も肥沃な大地を保ち、目覚めたままの日々を送っている。
「確かに、私は礼を欠きました。けれどこの地に眠る亡神への侮辱は、どうぞおやめいただきたい。私は、あなた方から見ても未熟でしょう。ですがこの地の豊穣の祖神(おやがみ)は、決してそうではないのです」
 シーレ司教が「慎みなされ!」と、驚いて諌めるのをさえぎって、フローリアンは冷静さを装いながら言葉を連ねた。
 旧女王領の内側の事を、領外の者の多くは詳しく知り得はしない。旧女王領の肥沃ない大地の恩恵にあずかっていようと、その豊穣が亡神の加護によるものだとは、知らない者の方が多い。
 旧女王領に暮らす人々にとっての、峰の亡神への信仰の強さも、神へいだくおそれの強さも、忠誠の強さも。なにもかも、彼らの多くは知らないのだ。だからこそ、嫌味でも言ったつもりになって、こんな言葉を吐けるのだろう。
 けれど、それも従者は気に入らなかったのだろう。「いいえ司教、今のような小さなことでも、御身の貴さを考えれば許してはならぬことです」などと厳しい声で続ける。 
「司教殿へ礼も取らず、銀杖陛下への礼も欠き。そもそも、銀杖陛下に従う身ならば、我らが仕える国教を信奉すべきだというのに……特異の祭儀を特別に許された身で、あまり思い上がられるな」
 けれどもそれが、祭司の怒りの琴線に触れた。
 旧女王領は、この地は、たしかに今は末子の血を継げる銀杖王の所領だ。けれどながくその歴史が続いたとしても、まことにこの地を統べられるのはいつの世も、眠れる女王その人。そして、花祝ぎが誓いを交わして祀るのは、青い峰の亡神だけ。それは王とて知り、認めている。青い峰のふもとに住まう彼らがただしく臣従するのは、銀杖王ではないというのに。
「言葉を、慎まれよ」
 まるで人形のように蒼白になって、フローリアンが言葉をふるわせた。
 時代が流れすぎたのか、それとも人が伝えることを怠ったのか。旧女王領外の人間は、この地に女王国があったことすら、もはや語り継ぐことを忘れている者もいる。
 でもだからといって、ないがしろにされることを耐えるべきだとは思えない。
 フローリアンは「確かに、礼を欠いたのはこちらです」と、神官へとか細く言った。
「だが、ここはリセト。我らは皆、眠れる女王の膝元に在るのです。その信仰をないがしろにすることは、控えていただきたい」
「おや。我らとて、そちらの信仰は認めておりますよ? 王が認可を出しておられるのだからね。だが、私が言いたいのは、辺境の一祭司であるその立場というものをわきまえよと」
 なおもいいつのる神官に、フローリアンは怒りで真白くなった顔を歪める。その表情に従者も気付き、きつい空気が流れたが、フローリアン自信にはそれを気にする余裕もない。
「どうぞお引き取りください。たとえ亡神が温情をたまわったとしても、我らには誇りと、眠れる女王の尊厳を守る義務がある」
 きっぱりと言い切ると、神官が理解できない、というように顔をしかめた。きっと、彼もまたこの地の過去の歴史を知らない。あるいは、お伽噺と受け止め、信じてはいないのだろう。正使である司教はこの地に関しての知識もあるのか顔色をなくしていたが、フローリアンは「司教殿も、申し訳ありませんがお引き取りを」と重ねて言った。我を忘れてしまいそうな今、それだけ言うのが精一杯だった。
 けれども従者は「銀杖陛下よりの書状も受け取らぬと?」と追い打ちをかけるように、そして責めるように繰り返す。
「お引き取り願います、司教殿。書状は後ほど使者を立てお預かりしますし、お時間があるようならば、帰路につかれるまえに祭司みずから伺いましょう。もっとも、そちらの従者殿が、これ以上の侮辱を峰へと向けねば、の話ですが」
 見かねたアリーセがかたわらから、厳しく重ねて言うと、さすがにシーレ司教も言っても聞かない事を悟ったのか、フローリアンへ一礼して「よいから、あなたも来なさい」と彼に告げ、その腕をとってまでして扉の方へ引き返した。
 それを見送り、祭殿の扉が閉まるのを見届ける。しばしの間、沈黙が横たわった。
「――これだから、領外のやつらは嫌いなんだ」
 フローリアンがうつむいて、ぽつりとつぶやいた。
「フロウ」
「アーベライン伯も、今の聖堂の人間も、それに俺の仕えていた馬鹿な貴族も。みんな、花祝ぎの、女王の守ってきたものを忘れたままで、自分たちが正しくてそれが当然だと思って生きている」
「どうして、そんなに」
 聞けば、彼は溜めこんだ息を吐き出すように嘆息した。次いで「俺が長年、リセトにこられなかった理由、領外のやつらの貪欲さのせいも、あるし」と、彼女の返事を待たずに、ゆっくりと言葉を繋ぎはじめた。
「親が、領外の貴族の使用人だったらしくて。でも揺り籠で泣いてた赤子の俺の涙が花になるからって、主人に珍しがられて、他の貴族へご機嫌伺いに譲られた」
 思いがけず語られたフローリアンの言葉に、アリーセはゆっくりと瞠目する。
「でも譲られた先では絶対に泣かなかったから、つまらないって言われて、だけど捨てるのももったいないからって使用人になって、それで十年。グレーティアさまが、噂づたいに見いだされるまで領外に居たけれど、あそこはどうしても好きにはなれなかったし、憎かったよ」
 いつかアリーセがフローリアンに言った言葉を、少年は淡々と口にしてみせた。
 初めて、聞いた。
 次代の花祝ぎとして引き取られる以前のフローリアンの話は、彼女にとってある種の衝撃だった。
「……やっと、何かになれたって、思ったんだけどなあ」
 かるくまぶたを伏せて、少年は嘆息する。
「でも、足りないね。儀礼にはもっと気を使わなければいけなかったし、そもそもあそこまで言わせる前に、話を逸らすなり、すり替えるなりして止めるべきだった。亡神を侮辱なんて、絶対にさせちゃいけなかったのに」
 いつかのように、ふわりと。彼の目元に浮かび上がった涙が花ひらく。ほろりと白い花が咲きほころんで襟元に落ちると、泣いているのに気付いていなかったのだろう。フローリアンは驚いたように目をしばたたかせた。
 しかしだからといって、花の涙が止まる気配はなく、呆然ととまどうフローリアンの頬に、花は次々と咲き誇った。アリーセはすこしのためらいの後に、軽く彼の涙に手を伸ばす。
「それでも、あなたは花祝ぎなんだよ。おばあさまの、後継なんだよ」
 無意識に、言葉は口をついて飛びだした。
 荒らげられた声に、くやしさに咲きほこる涙に、知ってしまった。
 このひとは、未熟でも、年若くとも、確かに彼女が慕った祖母と同じ、花祝ぎの誇りを持っていたのだ。
 アリーセの中で、いつか抱いた嫉妬という名を持つ憎しみがとけほどかれ、完全にくやしさに代わる。
 フローリアンが、こぼれおちる花のかおりに包まれて、「アリーセ?」と、小さく首をかしげた。
 口惜しさに、少女はきつく口元を引き結んだ。どうして、彼ではなかった。グレーティアに長く教えを受けたのは、どうして彼女であったのだ。
「……ごめんね」
 うつむいて、そうかすかにささやけば、フローリアンは「どうして」と彼女の瞳をのぞきこむ。
 アリーセは軽く首を振る。
 こんなこと、絶対に告げたりはしない。
 先の春に手紙を出して申請した、アリーセの在籍する寄宿学校の休学期間は、最長で一年間だ。次の春は間近で、その春の終わりと共に彼女はまた領外へ行く。それに手記の解読も、残すことろあとわずか。
 それまでの時間を何事もなく過ごせたら、きっと彼に伝える機会もないだろう。
 そして彼女が去るまでには、託されたものを託す、それだけ以外にも自分にできることを精一杯、花祝ぎのために。
 いつかの決意をあらためるとともに、「なんでもないよ」と、アリーセは無理やりに微笑んでみせた。