01/茨をもつげる





 アリーセがフローリアンに初めて会ったのは良く晴れた、空の澄み渡る春の日、三月の末のことだった。
 銀杖王の治める王国、旧女王領の今は茨に覆われた青い峰。そのふもとにぽつりと位置する古き祭司の村リセトは、しめやかに服喪の日々をおくっていた。
 四年前に領外の寄宿学校へと入学し、以来一度も故郷へ帰っていなかったアリーセが、再び生まれ育った村の土を踏んだのはつい先ごろのこと。育て親であった、たった一人の肉親である祖母グレーティアが死んだとの便りをうけ、急ぎ帰郷したのだ。
 アリーセがリセトにたどり着いた時には、彼女の尋ね人は既に、大地の下にて眠れる人となっていた。旧女王領の最古にして最高位の、「花祝ぎ」と呼ばれる土着の祭司であった女性、グレーティア。代々の花祝ぎが仕えてきた、今はもう静かに眠れる亡神のほかには、誰にもかしずかず、おもねらず、最期まで毅然と立ち続けた女性。そんな彼女の死を悼む者は多く、アリーセが墓前で出会ったフローリアンもそのうちにかぞえられた。そしてきっと彼も、花祝ぎの死をもっとも嘆き悲しんでいる人間のひとりだった。
「だれ? なんでここにいるわけ」
 アリーセが最初にフローリアンを目にした時、彼は頬の上に涙の変じた、たおやかな花を咲き誇らせていた。そして、少年は丘をのぼってきた彼女の姿を見とめると、単調な声でそう尋ねてきたのだ。
 遠方に居たために祖母の死に目にも立ち会えず、葬儀にも出られなかったアリーセが、ようやく墓に詣でることができたのはグレーティアの死より一週間も後。それゆえ喪服に身を包んだ少女が代々の祭司の眠れる丘へと赴いた時、彼女はそこには誰の姿もないものだと思っていた。だからこそ、新たに植えられた花祝ぎの墓標である若い樹を、あふれてはとまらない涙を瞳にとどめて、ぼんやりとみつめていた少年。白と若葉の色に染められた神職の外衣をまとった彼を見つけた時に、少しばかり驚いたのも、きっと仕方がないことだった。
「……おばあさまに、会いにきたの。遅くなっては、しまったけれど」
 言葉を選び取ることも忘れ、アリーセはただ、まろぶように彼の涙が咲きほころぶのをみていた。
 たとえるならば、まばゆい光がとけゆくように。少年の瞳からこぼれ落ちるしずくは頬を滑り落ちながら、たしかに花の形をとっていた。淡い白の花弁が寄り集まった一輪に、茎や葉は存在しない。ただただ競うように宙で咲き誇り、そして落ちてゆく花々は、少年の足元の土にしずかに受け止められる。
「なに? それじゃあ、あんたがグレーティアさまの孫娘ってわけ?」
「そう。あなたは当代の花祝ぎさまですね。後継者は花の涙を流される方だと、おばあさま、以前手紙に書かれていたもの」
 少女の方を向き戸惑ったように聞いてきたフローリアンへ、アリーセが静かに言葉を返せば、少年は「そっか」と声をとりおとす。
 先代の花祝ぎが死んだ今、次に終身その座を継いで祭司を務める跡継ぎは選ばれてしかるべきだったし、実際すでに選ばれていた。
「グレーティアさまはよくあんたの話をしていたよ。あんたは領外なんかに出ていったっていうのに、先代は一人娘の忘れ形見を、それはそれは可愛がっていらした」
 言いながら、彼が頬の上の花の涙を乱暴にぬぐうと、花弁からほのあまい香りがふわりと広がった。懐かしい香りだった。あまやかにしていとしい香りに、アリーセは祖母との思い出をひとつ、ゆるやかに思い出す。カモミール。彼の流す涙の花は、母を亡くして祖母に引き取られたばかりの頃、涙に眠りを忘れていた幼いアリーセに祖母があたえてくれた、あの穏やかなまどろみの花だ。
 懐かしさに軽く口元を引き結ぶと、そんなアリーセのしぐさに思うところでもあったのか、少年は戸惑ったように一度だけ瞳をまたたかせる。そして浅い吐息の後に、ふたたび声をふるわせた。
「俺はフローリアン。あんたの言うとおり、つい先ごろに花祝ぎの座を継承した」
 言いながら、まるで狩人のように、あるいは獣のように。流す涙の変じる小さな白い花とは似つかわしくないほどにするどく、フローリアンはアリーセの青い瞳を、視線で射ぬいてきた。
「だけど俺はね、アリーセ・シュトルツ。あんたのことが、大嫌いだよ」
 そうして、いまだ涙にぬれた翡翠の瞳をうつくしく歪めた少年は、あざやかに笑まい、言い切った。
「――そう」
 けれどその笑みをうけた少女もまた、傷を見せることも、臆すことすらもしなかった。
まばたきひとつであでやかさをゆるりとまとい、軽くまぶたを伏せた上で、優雅を装って口元をつりあげる。
「でも私もね、フローリアン。花祝ぎであるあなたが憎いよ」
 喪服の裾をひるがえし、つかつかと墓標の前まで歩み寄ると、アリーセはまるで挑むように、傍らに立つフローリアンの方を向いた。
 対するフローリアンも冷たくアリーセを一瞥すると、「ああ、そういうこと」と吐き出すようにつぶやく。
「残念ながら、おそろいってわけ」
 そして墓前にたたずむひとは、言葉に茨すら含ませながらも、いたく軽やかにわらってみせた。