リルの記憶 - 覆面作家企画特設ページ

覆面作家企画6 後書き

※この回の後書きはとても長いです!

■作者名

 篠崎琴子です。
 あとがきテンプレは普通の形式でゆきます!


■サイト名&アドレス

「リルの記憶」( http://lir.verse.jp )です。
 そろそろ改装したい。


■参加ブロック、作品番号、作品タイトル、作品アドレス

 F08「凱旋の火矢は墜されたし」でした。


■ジャンル

 ジャンル……とは……。
 近代架空史、かな。架空史と呼ぶほど歴史してるとは言い難い、ある人生の一幕……? と呼んでもよいのでしょうか。
 ところでジャンルは無茶ぶりでつけていいと覆面チャットで聞いたのですが、無茶ぶり要素をあまり思いつけませんでした。



■あらすじ

 ここは中欧、とうに時勢に剥奪された、私の故国だった場所。
 二十五年ぶりに故郷の森を訪った私は、家族との記憶、過去の戦火を思い出す。


■意気込みテンプレを使用された方は、URLを教えてください。

 今回の企画最大のフェイクを仕込むべく睡眠信仰の布教をしてました。
 いちおう、右端を注意書き通りのブラウザで見ると、逆縦読みで「この意気込みはフェイク」と仕込んであるので(※ページを改めた際に、レイアウトの関係でこのフェイクは消え失せました)許してください。


■推理をかわすための作戦は?

 挑戦したことのない老婆主人公、挑戦したことのない地域と時代をモデルにした舞台、挑戦したことのない戦争の絡む題材、と取り揃えてみたのですがフェイクにならなかったので、あわてて意気込みにフェイクを仕込みました。
 好きな本や書いているジャンルを伏せてみたり、妙に自信満々になってみたり。
 第二次世界大戦前夜、英領インドの女学校から花ひらく物語、近代インド少女小説「カーリー」(高殿円)とか。
 昭和初期の日本を舞台に少女あるいは少年たちの静かな激情を淡々と綴る短編集「少女外道」(皆川博子)とか。

 あるいは、推理材料として提示した作品もだいぶ取捨選択しました。
 最新の掲載作は戦後日本を舞台にした家族の話「神様は、帰る場所にいる」でしたし、短編として読みやすいのは「かたはねまつり」よりも古代日本風の舞台を心がけた双子の話「つがい」だったと思います。
 ただ、これらはどうしても、血の繋がらないきょうだい、実在の歴史を意識はしているも関わりを明言してはいない点など、要素や時代背景がかぶる作品を、あえて記さずにいました。



■作品のネタを思いついたきっかけは?

 ここからだいぶ、長くなります。
 また、執筆時に参照した資料とその資料の内容から、近現代の各種歴史と思想について言及していますが、正直に述べるとこれらの主義思想や概念を学問の一分野として自学している最中で、ふさわしくない言い回しや文言は目立つと思います。これらに対して何かしら個人の意識を主張するものではありません。どうぞ問題点などありましたら、ご指摘をお願いします。
 ただ自分で整理するためにも述べておきたいので、ご容赦ください。



 意気込みでは構想三カ月、と書いたのですが、思い返してみれば着想のきっかけは、おそらく三年ほど前にあったと思います。
 「ヨーロッパの心」(犬養道子)という岩波の新書があるのですね。これが、1991年に発行された本で。おそらく1960年代か70年代ごろからヨーロッパに暮らしてきた著者が、自身がヨーロッパの各地を巡りかかわった体験を、近現代の思想、民族事情、文化、そして紛争の歴史をまじえて語る、というノンフィクションのエッセイです。
 この中の一節に、「すすり泣くヨーロッパ ― チェコスロヴァキア」という項目があり。
 これは、チェコスロヴァキアの老婦人が、プラハの春の終わり……チェコスロヴァキアにソ連軍が侵攻してきた、チェコ事件のさなか、孫娘を連れてオーストリアを目指した体験を、著者に語るものでした。

 今回覆面作家企画に提出させていただいた話は、まさにこの章の影響を多分に受け、またこの談話を資料とした、オマージュです。 正解発表直後、Twitterではモデルとした、と直接述べてしまいましたが、執筆にあたり参考にしたのは、このエッセイの、1968年のチェコ事件について語る老婦人の言葉でした。
 三年前に読了したこのエッセイを忘れられずに、戦火を扱い、老婆を主人公にする、というフェイクを考えた時に真っ先に資料にしようと思ってひらきました。
 オマージュというからには出典を記すべきだったのでしょうが、残念ながらそういった部分に言及することは、文字数の関係と思慮のいたらなさゆえ、引っ込めてしまいました。(今回の字数地獄については後述します)

 ならば企画にそういう話をあえて寄せるのは……とも考えたのですが、まず原稿をすすめていた時、同時並行で同じく参加者の八坂はるのさんとの合同誌「糸雨の残躯/歌う繭」の原稿をしていたので、端的に言うと他の案を考える時間と余裕がありませんでした。だからといってこの点についての対応を省いたのは浅慮でした。

 ただそれ以上に、実はこの話を書いてみたかった大きな理由がもうひとつあって。

 ちょうど覆面作家企画の開催申し込みがはじまったか、開催が告知されたか、お題が発表されたか。そのあたりいずれかの頃に、「さよなら、アドルフ」という映画を鑑賞したのですね。
 こちらは、第二次世界大戦終戦後、ナチス高官の娘だった少女ローレが、幼い妹弟たちとともにドイツ北部の祖母の家を目指して、道なき道を、森を、泥地を歩き続ける。しかしその道程で父と、それまで無心に慕っていた信念の罪をつきつけられた彼女は、ユダヤ人の青年と旅路をともにすることとなり……という、重いテーマの成長物語……というよりはビルドゥングスロマンとでも言ったほうがしっくり来るのですが、「ヒトラーの子どもたち」の戦後を描いた映画です。これがどうにも衝撃的で、二度、映画館に足を運びました。

 この映画の影響を、やはり多分に受け、またこの映画に突き動かされるものがあり、自分がうけた衝撃を消化するために、「第二次世界大戦後のヨーロッパで」「ある種の『敗北』を味わった人間が」「生きる為に歩いてゆく」特に、「森の中をぬけてゆく」、という、「すすり泣くヨーロッパ」「さよなら、アドルフ」の両方の作品に共通するモチーフを題材に書いてみたかった。そしてそれを、わたしの書いたものであると知られない状態でどう読まれるか、ということを知りたかった。これが、いちばん大きな理由でした。
 いままで色々な方に小説を読んで頂いてきて、やはり言及していただくことはまず「文章」「文体」「リズム」「(登場人物の少年少女の持つ)属性あるいは要素」あたりが最初に来ることが多かったので、そういった部分以外で、どこか言及していただける点があるかどうかを知りたい。と、たぶん考えたのだと思います。わたしが自分なりに噛み砕いて消化して物語の筋にしてみた、と言ってもいいのかはわかりませんが、とにかく影響を受けたふたつの作品に対してわたしはどこまで考えて真剣に扱おうとすることができたか、というのを知りたかったのです。
 今回の参加作を読んでいただいていつも言及していただける部分以外にまず触れていただけるとしたら、いままで小説を書いてきた姿勢とは、多少なりとも違った形で表現できたものがあるかもしれないとも、思ったのでしょう。
 覆面作家企画なので、その点は格好の舞台だったわけです。


■ストーリーの構築において気を使った点、苦労した点などあれば教えて下さい。

 やはり、どこまで参考にした作品と歴史に真摯になれるか、という点に最も気を使いました。
 モデルはチェコスロヴァキアのプラハの春の終わり、チェコ事件。とはっきり定めているのに、あえて架空の国と架空の侵略事件を舞台としたのもそのためです。
 しょうじき、言い訳になりますがきっちりと資料を読み込めるとは思えなかったこと、また参考とするべき史実資料を上手に選べなかったことが、現代に近い時間に実在した国を創作に利用したくなかった理由です。
 モデルにしておきながらなにを、とは自分でも思うのですが、特に実在した国、実在した「戦火」、それも近現代ヨーロッパ史の中でもデリケートな問題をこういった形で扱うならば、当該事件だけでなく、前後周辺の近現代史と民族の歴史を少なくともある程度は学んで把握しなければ失礼なことだろう、と考え、結局準備を満足にはできないと思ったので、架空の国カレルキアに逃げました。
 とはいっても、やはり近代ヨーロッパに「存在したとして描く」うえでは、首都名、仮に存在するとしたら中欧のどのあたりに位置するか、近現代ヨーロッパにおける国家の思想的立場、第二次世界大戦下の状況、そこから作中時間に至るまでの国際社会における立場の変遷、あたりはいくつかメモを作って構成と史実、現実の情報と架空の情報と合わせ込んだ時の違和感のなさを練りました。

 たとえば、カレルキアは実在の地理で言うならばドイツとチェコ、そしてオーストリアの境に位置した、という前提で構成を練りました。ウァールラウドの森は、地理的にオーストリアのリンツ周辺。本文からは名前をけずりましたが、カレルキアの首都シュラウツェンは現在のチェコの南ボヘミアのあたりに位置していた、と仮定しています。
 この距離を経る場合、スヴェトラナの逃避行は、徒歩と多少の車の利用で成し遂げられるのか。というあたりは、グーグルマップを頼りました。

 あるいは、

「 自分の理解する20世紀の中欧とは、オーストリア=ハンガリー帝国の影響下→ナチ支配下→1945年以来ソ連傘下の共産ブロックというもの。この国の歴史はやや特殊だ。
「亡君の遺児を担いでお家再興」という時代ではさすがにないが、娘の知名度が反共宣伝の具にされた可能性は十分にある。良かった。
ところでアロイスって、どこの少将だったのだろう。海もないのに海軍少将、というのが中欧あるある。」

と、盲管さんに感想で言及していただいたのですが。ここについては字数の関係上文中で述べきれなかったのですが、いちおう、初稿とプロットでは記述がありました。文章で持ってくると長いので、概略だけ言い訳すると

「カレルキアは第二次世界大戦開戦後、ドイツに保護領として併合される。その間、亡命政府がイギリスにて樹立。
 国内では地下活動、抵抗活動が続くも、1942年のチェコのエンスラポイド作戦の報復、1944年のスロヴァキア民衆蜂起の報復をうけて沈静化してゆく。1945年5月には連合軍の加担した亡命政府主導の作戦によって国土は奪還され、1945年内6月には亡命政府が本国に復帰した。
 しかし国内では徐々に共産主義の影響が強まってゆき、1948年のチェコスロヴァキア・クーデター(二月事件)などの影響も受ける。1950年に戦後処理の遅れは王家と軍部の癒着が議会に圧力をかけているからだ、として議会の権限拡大を求めて若者を中心に市民が蜂起。そこに「市民への救援」と称して「北の他国」ことソ連が派兵してくる」

 という背景でした。じゅうぶん長かった。
「アロイスの遺児」は、物語の幕引きの時点ではほぼ唯一の「カレルキアの王位継承権を持つ若い世代の人間」であり「かつての英雄である父を想起させる故国奪還の象徴的な偶像」であるので、ロンドンにて資本主義陣営の後押しをうけて延命していた、後継者不足にあえぐ亡命政府の起爆剤のひとつでした。この時カレルキアは共産思想の政権下にあり、まさに述べていただいたとおり、反共宣伝の材料だったわけです。

 つまり、史実と錯覚してもらうために現実味を織り交ぜつつも、現実の国を実際の舞台にはせず、知識ならびに理解不足で意図せず実在の国家民族を侮辱するようなことにはしたくなかったので、その点に最も気を使って、設定と描写の矛盾をさけつつ、ぼかしました。きちんとその点に配慮できたか、はいまでも全くわからず悩んでいますが。

 逆に、言語や名付けなど、国家というより土地民族に根ざした部分は、読みやすいよう調整して活用させていただきました。
たつみさんに感想( http://namasan.july.main.jp/?eid=374 )で、「 母親を「マトカ」と呼ぶのも独自設定のよう 」と述べて頂いているのですが、これはチェコ語で「母親」「おかあさん」である「 matka 」をそのまま持ってきています。名付けも、すべてチェコ語です。チェコでは誕生日によってつける名前が決まっていて、専用のカレンダーもあるそうなんですね。
 今回は年齢と出生時期と名前の響きと相談しつつ、こちらを参考にだいぶ悩みながら決めました。
 ただ一方で、苗字の記述は厳密にするとわかりにくくなるので、女性形、男性形での変化はさせていません。

 ですので、カレルキアは実在したのかと思って調べた、と言ってくださった方が何名かいらっしゃり、嬉しく思いもしました。
 


■削ったエピソードなどありましたか? 作成裏話歓迎です。

 この話を語る時を待っていました。
 初稿は13000字でした。
 無茶して無謀して頑張って7000字削りました。途中で諦めなかった点だけは褒めてほしいです。

 具体的には、上記に記したような舞台背景、情勢についての情報を大幅カット、それにともない結末の情報と描写を大幅変更し、字数に収まるように調整。それだけやってもまだ5000字ほど削らなければならなかったので、アロイスとスヴェトラナが幼少期に経た別離のシーンをばっさり。
 こちらは、後夜祭!と騒ぎつつ、プライベッターの方で「凱旋の火矢は手折られたり」の題でそのまま公開しております。
 それから、末妹ペトラをはじめ、ヤナ姉さん、ヨハンとヤロスラフ、文字数のために泣く泣く存在ごと削ったスヴィータと同い年の姉妹イヴェタ。彼らイェリネクのきょうだいたちの死因エピソードもばっさり、です。
 梶さんの「覆面作家企画6死亡者数カウント」に情報を添えるならば、諜報員としてアロイスの傘下で活動していたペトラは凄惨な感じに暗殺、ヤナ姉さんは望まぬ結婚の末産褥死、マレクとヤロスラフは戦死ならびに生死不明の後に死亡宣告、イヴェタは空爆で、マトカことイェリネク女史は保護領時代に当局に目をつけられて尋問と飢餓の末に、でした。

 それでも1000字削れなくて、句読点と細かな言い回しを削って削って増えて調整して削って……どうにかこうにかカウントツールの上では6000字になったので、無事企画に参加できた次第です。




■その作品の続編または長編化のご予定は?

 厳密に、と練っているうちにだいぶ設定がかさんだので、おそらく書くとしたらカレルキア近現代史についてまとめた三部作?程度の中編連作にする予定です。

 イェリネクの末妹ペトラと、アロイスの奥方に恩ある青年がそれぞれに「終戦」を迎える 「聖戦の凱歌は黙されたし」から、「宣戦の烽火は隠されたく」という題でアロイスとその奥方の結婚と権力の側から見たカレルキア政変とその後の動乱を書き、「凱旋の火矢は墜されたり」でスヴェトラナとアロイスの過去と、「スヴィータに託された娘」がその後「母親」とともにどのようにヨーロッパを流浪したか、を形にできたら、いいなあ、と。

 そうそう、企画には「凱旋の火矢は墜されたし」という題で参加させて頂いていますが、これは完全に打ち間違いです。正しくは上記の「凱旋の火矢は墜されたり」でした。
 タイトルの初期案が「凱旋の火矢は手折られたし」だったので、うっかりまざったまま投稿してしまったのですね。

 具体的に決まっているくせに、長くなることが目に見えており、かつ圧倒的勉強不足理解不足知識不足の壁が立ちはだかっているので、だいぶ長いスパンで考えないとどうにもならなさそうです。



■その作品で気に入っている箇所はどこですか?

 「きょうだいたちのことを回想する箇所」「逃亡の描写」「最後に振り返る箇所」は、色々な方によかった、とあげていただいた箇所ですが、自分でも気に入っています。

 また、逃亡中に聞こえる「誰か私たちを、王国を助けに来てはくれるの? 来てくれるつもりは、あるの――?」という台詞ですが、これだけは実際にチェコ事件の際に発信された文言をなぞっています。原文の日本語訳は以下の通りです。

「西の受信局すべてに!
 このメッセージを広くつたえてください。
 西のヨーロッパよ、
 来てくれますか、
 来るつもりがあるのですか。
 もうおそい、もうおそい……」
 (1956年11月5日午後6字30分 ブダペスト発 ハム通信)
 (「ヨーロッパの心」犬養道子著 岩波書店 2006年第19刷発行 / 160Pより引用)

 実際の史実はモデルとする、程度に留めると前で述べているにもかかわらず、これだけは、どうしてか、どうしても書いておきたかったので、気に入っている、というか気に留めている、とも言えるのかもしれません。

 また、やはり気に入っているというよりは気に留めて置かなければならないと思った箇所について。
 作中の語彙を「東欧」ではなくこだわって「中欧」と統一したのですが、この点については企画終了後に深く考えさせられました。
 つい先日読んだ本に「嘘つきアーニャと真っ赤な真実」(米原万里)というノンフィクションのエッセイがあるのですが。これは、1960年代にまさにチェコ、プラハのソビエト学校で少女時代を過ごした著者が、動乱機を経て、ヨーロッパに点在するかつての級友たちを訪ね歩く、というものでした。最初に挙げた「すすり泣くヨーロッパ」がチェコスロヴァキアから資本主義圏に逃れた老婦人が語り手だったのに対し、こちらは共産思想影響下で育ってその後帰国した日本人の女性、あるいはそれぞれに複雑な背景を持つ、彼女のかつての級友たちが語り手です。
 ここに収録されている「白い都のヤスミンカ」という章に、こんな記述があります。

「ところで日本人はいとも気楽に無頓着に「東欧」と呼ぶが、ポーランド人もチェコ人もハンガリー人もルーマニア人も、こう括られるのをひどく嫌う。「中欧」と訂正する。」
(「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」米原万里著 角川文庫 平成24年5月15日 第19刷発行 / 247Pより引用)

 この理由については、直接書籍を参照し、前後の文脈ともあわせて判断したほうが正確に理解できると考えるのでここでは引用しませんが、こういった意識の存在を考えると、言葉ひとつとっても安易に使えないほど、慎重にならなければいけない部分に触れていたのだな、と感じました。



■推理期間中、褒められた点は?

 たしかこれはツイッターで述べていただいたのだったかと思いますが、「文章(文体)が、物語を表現する上での装置になっていた。」と述べていただけたことは、とても嬉しかったです。いままでわりと、「文章が主、話が従」といった感覚から脱しきれないなあと思っていたので。

 また、玉蟲さんに「#この才能が憎い」に選出していただいたのには、いまだにはしゃいでいます。

 それから、いただいた感想で嬉しかったものとして。
 jijiさんに述べていただいた、「もしも、次の覆面が開催されたら、この方の文章を真似してみたい。ネジ子さん、その時は、同じグループに入れてくださいね。」というお言葉を挙げさせてください。
 まず人からこのように仰っていただけることは、非常に稀有で幸せなことだと考えます。ましてやそれが、わたしのずっと先をゆかれている、そして先を歩かれている分、経験、知識や技術を重ねられた大先輩にいただいた言葉です。
 光栄です、という言葉一つしか、もう、言えないです。この言葉一つにたくさんのことが混ざり込んで圧縮されているのでしょうが、それをうまく表現できる技量がまだ無いです。
 次回の覆面開催の際には、主催さまにはぜひぜひ期待させていただきたく思います……!


■推理されてみて、いかがでしたか?


 開始三十分で蝶々さんに看破されました。
 その後ですか?
「F08は琴子」「F08はタイトルの横で琴子が手をふってる」「Fブロックの書き出し一覧見ただけでわかりました」「F08はむしろ琴子以外誰が書くの?」
 という真実の刃でぐっさぐさです。
 なぜわたしはフェイクがフェイクしていると考えたのか……。

■正解以外に、あなたの名前があがった作品はありましたか?

 かろうじて楠園さんが、逃げ切り防止のためにとF05?あたりに割り振ってくださっていた、かな?
 それだけです。皆さんの推理力が素晴らしかったのか私の覆面力があまりにお粗末だったのか。両方かな……!(強がってます)

■あなたの作品の作者だと推理された方はいましたか?

 いらっしゃいませんでした!


■推理してみて、いかがでしたか?

 Gブロックのはるのさんとスイさんの逆転の悲劇のことは話さないでください。
 自信満々で語っていたのに外した私のみじめさがつらいです。


■あなたの推理はどのくらいの正解率でしたか?

 気まぐれに言及していたので割合は計算していませんが、3割くらいはあたってた、かも?
 キドニーパイと火矢をそれぞれの武器に相対した玉蟲さんとは刺し違えました。玉蟲さんとはわりと参考資料がかぶっていたため、手元の資料を確認し小説の内容とほぼ一致したのが勝因でした。
 しかしながらヴィクトリア朝の使用人文化資料は近年刊行ラッシュで嬉しい悲鳴を上げているので、来年辺りにはこの手段も使えなくなるかなと思っています。

■この企画に参加して、改めて気づいたことはありますか?

 前で結構述べていますが、言葉と題材の扱いは慎重に、と思いました。
 読み手に誤解なく、ストレスなく、率直に伝わるような表現を身に着けたいです。

 あと、これは明らかに琴子! とあまた述べていただけ、またその理由が「文章のリズム」「語彙の扱い」「直感」「雰囲気」「空気感」「資料を読み込んでいる感じ」など、基本的に小説を書く上で共通する部分かなと考えているところが段階的に種々ちらばっていたので、これは非常に自信になりました。多少なりとも、個性というものが書くものに含まれているのかもしれないと、僭越ながら思ってみられるようになり、結果ちかごろ、書きたいものを書くときの躊躇が減ってきました。
 

■参加作品の中で印象深い作品をあげてください。

 全作品読めていないので、読了した範囲で。
「 D02 顔 」
「 D08 火童子 」
「 E10 朱樂院家の焼失 」
「 F09 千匹皮姫 」
「 G03 これから朝が訪れる 」
「 G05 金糸雀に雨 」
「 G08 恋愛未満コンロ。 」
「 G10 マイノリティ・レポート 」

 ほとんどお知り合いのいるブロックしか読んでなかったんで、お知り合いのものばかりになっていますね。


■参加作品の中で印象深いタイトルの作品をあげてください。

「 A01 世界の秘境から ~夏だ!花火だ!お祭りだ!真夏の六千文字スペシャル~ 今回は通常放送より三千文字拡大版!豪華六千文字にてお届けいたします! 」
「 B08 クルーム・ルージュは屍に帰す 」
「 E02 キドニーパイをひとくち 」
「 G03 これから朝が訪れる 」

 G03のだもさんが被ってますがだってこれはもう被ってもしょうがないとおもった。

■参加作品の中で面白かった3作品&一言感想、お願いします。

 すべてのブロックに目を通せていないので、同ブロックから3作品選ばせていただきますね。


「 F03 僕も愛しているよ 」
 わたしもこの作品を愛しています。いいよね。異性装よいですよね。

「 F04 「幸福な食卓」 」
 素晴らしい飯テロでありました。お師匠様はうら若い(外見の)乙女説に一票。

「 F09 千匹皮姫 」
 劇中劇に最初え!? と思ったのですが、読み進む内に非常に引き込まれ。わたしも劇中を書いてみたくなりました。

 それと、Fブロックの感想だけはこちらで制覇しているので、よろしければ。


 最後になりますが、ほんとうに楽しい企画でした。参加させていただけ、しあわせでした。
 主催のネジ子さま、お疲れ様でした。開催してくださってどうもありがとうございました……!
 この企画をとおして知り合えた方、拝読できた作品、それぞれ素晴らしい実りです。
 次回開催の機会には、その時にも参加できたらいいなと思います。