その石は

母によって託された。
御神の僕によって見いだされた。
ながく、地中に眠っていた。

そして、石は既に母の手を離れ、
王の掌中に隠された。

石の名はしかし記されることなく、
ただ輝石とのみ、今に伝わる。

亡き王、あなたと
夜明けに臨む

4  サリュ



 あなたがわたしを、あの地下の部屋から連れ出して、水盤庭園に籠めてから。
 わたしがずっと望んでいたことを、叶えてくれてありがとう。
 そう伝えることすらももどかしく、わたしは花と王とを乗せて、死出路へと流れゆく小舟の内に座り込んで。セシャルトリエ。熱に蝕まれて横たわる、あなたの横顔を見下ろした。
 花舟流しは、いうなればもはや不要となった『王だった者』を、王国から追放する儀式。
 なればこそ、墓である舟は生前の権勢に比べればずいぶんと簡素だ。
 ともに積まれる品々も、花であるとか、わずかな宝飾であるとか、生前愛用していた武器であるとか、副葬品と呼ぶにふさわしいものばかり。
 王国から見放された異母兄王の黒髪のひとすじに短剣の刃を入れ、新たに女王と呼ばれるようになったシュリア。わたしのことを姉とも母とも呼んでくれた幼い少女のことは、わたしがいつか母から譲られた持参石を譲ったほどには、心残りではある。それでも。わたしはこの望みを、あの子の為に捨てられはしなかったでしょう。
 随行の船に先導され、沖合で潮に乗せられた花舟は、ゆっくりと夜の海を渡りゆく。
 星月の灯りの下の淡いあかるさに、わたしは星を仰ぎ、満天の空をみあげ、ほうと安堵の息をついた。しるべの星は、かつてシュリアとともにみつめた星図のとおりに、天に座している。
 わたしの纏う色は、南方人らしからず、薄い。
 その淡さゆえに、南国の強い陽の下に身を晒せば、ひどく焼けただれてしまう。
 そのためわたしは幼いころから、屋敷の地下……というよりはむしろ地中にしつらえられた、石造りの部屋で生きてきた。部屋の外へ出られたのは、日差しの弱い朝夕の僅かな時間だけ。
 父はわたしを厭い、母はそんな父には大きくは逆らえず。だからこそわたしは人形の代わりに筆を、愛情の代わりに書物を、そしてひとりになっても身の証がたてられるようにと、早々に額飾に加工された持参石を。それらをわたしを産んだ母に与えられて、地中で育ったのだ。
「あなたはいつまでも、この家にいてはいけない。この家から、あなたは早く出てゆかなければならない。そのために、あなたの為になることを学びましょう。あなたはつよく、ひとりで、いきなければいけないの。サリュ」
 そう繰り返し諭す母の教えは、いつしかわたし自身の欲となった。この地下の部屋から逃げ出すため、そして逃げ出した先で生き延びるためにと、母は言う。陽の下に出られない他は、なにか不自由なこともなかったから、どうしてそうも必死なのかと不思議だったけれど、その答えは齢を重ねる間に、だんだんと察することになった。
 めったに言葉も交わさぬ父が、この特異な容貌を持つ末娘は、その色彩ゆえに西大陸では、国ひとつでも買えるような値で売れると聞く。ならば国外の人買いに売り払ってしまってもよいと――たわむれのように口にするそれは、しかし戯言に留まらなかったのだ。
 神祇に仕える身でなにをと、人の売り買いは禁中の禁ではないのかと、わたしは自分の身の心配以上に、そんな考えに恐れすら抱いた。けれどわたしの父のみならず、一族は総出でなにやら不穏を画策していたらしい。そのための資金はいくらあっても足りなかった。
 すべての結末が訪ったのはある夜、屋敷に大勢の兵が詰めかけて、父を、母を、兄姉たちを捕え、使用人すら逃がさずに、屋敷中のものをどこかへ持ち去って。そして、たったひとり地中の部屋でうずくまっていたわたしを、いま眼前で横たわるひとが見出した時のこと。
 王位簒奪などと。世を知らなかったわたしにとっては想像を絶するほどに、親族は恐ろしいことを企てていた。けれどわたしの体にだって、確かにその血は流れているのだろうと思う。でなければこんなことをたくらんで、そして成し遂げ、こうして花舟に揺られてなどいない。
 ……リトカリタ王セシャルトリエに地中より見いだされた頃のわたしは、まだ家名を名乗ることを許されていた。今は家ごと廃された名を、サリュ・ロダル=カラフ。祇敬官を多く出したカラフ一族の、第四の名を冠す分家、その末子。
 であるから、あの夜屋敷に入ってきたのが王軍であったこと。そしてカラフの一族は、王位の簒奪だなどという大事をたくらんでいたのだと知って、一瞬は連座刑の可能性も脳裏をよぎった。もっとも、覚悟が決まるよりも先に、わたしは夜陰に紛れて王宮へと連れ出され、水盤庭園へと、『人売りの証拠品』との名目で、ひそかに籠められたのだけれど。
 ながくながく、見上げていた空のその端が、やがてじわりと色彩を帯びる。
 そっとセシャルトリエの頬に手をあててみれば、それほどひどい熱さではなかった。この一週間どうにも下がりきらなかった熱も、今はじわりとひいてきたらしい。刺繍の施された掛布にくるまり、多少ではあるが落ち着いた寝息を立てていた人を、わたしはそっと揺り起こす。
「セシャ、起きて」
 ただ母によって守られていた日々。そこからわたしを連れ出して、水盤庭園に隠し籠めたこのひとの真意を、わたしは知らない。だからこうして、かの離宮から逃げ出したいという本能のままに、地下から連れ出されたときと同じように、また水盤庭園からの逃走を図ったのだ。
「夜が明けるよ」
 花に埋もれて、剣を抱き、眠っていたひとへと口にしながら。ああ、まさにその通りに、これより臨むは夜明けなのだと笑みがこぼれる。
 水盤庭園でわたしは、地中にいた頃と変わらずに書物を求めた。そしてそれだけでは足りぬと考え、世の情勢や新旧の海図、星図。あるいは、セシャルトリエの名の下で為された、通商の、特に海上貿易の規制の緩和や、商取引の拡大によって、国内にも今までとはくらべものにならぬほど、入ってくるようになっていた商人たちの商品録や航海図。
 とにかく、本能的な忌避と恐れに背を押され、わたしが籠められている場所……いうなれば王の権勢のもとから、つまりはこの諸島王国から離れることに必死だったから、わたしはそんな、女が集めるには奇妙とすら称される品々を求めた。しばらくの間は貪欲に、取捨選択すらもせずにすべてを頭に叩き込むことに日々をついやして。ただいつかこの場所からも逃げ出すのだと、そして誰にも籠められない、どこかへきっとゆくのだと。祈るように文字を追った。
 セシャルトリエが、あるいはその代行であるカナルゼン・カラフが訪れては、そのような品を気まぐれにおいてゆき。いつしかシュリアが日ごと訪うようになり。それからは、私を慕ってくる妹か娘のようなシュリアと言葉を交わすことも、日々の行いに加わった。
 そのように過ごすうちに、やがて望みをかなえるたったひとつの方法を見つけたから。わたしは今、この海神わたつみの領域を、セシャルトリエ。あなたとふたり、流されている。
 わずかに明るくなってくる空の下、いまや亡き王と称されるひとは、ゆっくりと起き上がる。
「これで、満足か。ロダル=カラフ」
 まだぼんやりと億劫そうな彼は、半身だけを船上で起こし、四方に果てなく広がる海を見つめてから、ぽつりと言った。
 波間を揺れる小舟の感覚に身を任せながら、わたしは「いいえ」と、静かに言葉を返す。
「まだ、満足ではないわ。でも感謝はしているの、我が君。わたしを地中からすくいあげ、その掌中に隠した人。わたしが隠され籠められることを厭えば、あなたはこうして利用されてくれたもの。たったひとりの家族を、あの王国の玉座に縛りつけてまで」
「それはおまえも同じだろうに。カナルゼンの身柄が、けっきょくシュリアの側近くだ。こうなった以上はどうあがいても、奴はこの先王国で死ぬか、生きるか。それしかないだろ」
 ――水平線の彼方から、徐々に陽光が姿をあらわし、世界をさやかに染め上げる中。
 わたしは、わたしの策略を知りえた上で、わたしが望んだとおりに動いてくれたひとのいまだふらつく身に寄り添うようにして支える。
 カナルゼン・カラフとわたしは、もともと面識があったわけではない。ただカラフ廃族事件以降、互いにセシャルトリエの側近くに生きる身となったので、互いがカラフの生き残りだと知りえたのは早い時期のことだった。
 ゆえに、わたしがどのようにこの諸島王国から、ひいてはリトカリタ王の権威のもとから逃げ出すかを心に定めた当時から、今に至るまでの間に。カナルゼンの心中をも、ある程度察することは叶ったのだ。
 彼が時折こぼす言葉によれば、ただ汚泥にまみれた家名を、どうにか故国で繋げ残したいと。しかし大罪を企てた者のみならず、幼子や妻女たちをも処断した国王セシャルトリエは、西大陸の価値観に育まれた身からすると、どうにも許せぬと。そういうことらしかった。
 ならばと、わたしは一族の復讐を望む娘を装って、彼に毒を盛るようそそのかしたのである。
 毒はカナルゼン自身が、西大陸にてごく稀に使われる古い種類のものを、クストル滞在中の人脈を辿って調達してきた。もっとも、その毒の名をあまたの資料の中から調べ上げ、カナルゼンに告げたのはわたしだったけれども。
 カナルゼンは、水盤庭園からは出られぬわたしの代わりに毒を盛り。そして、その心中にくすぶった憤りに身を任せた彼は、それらを周囲に明かすことないまま、今もセシャルトリエ王の側近という身分のままで、わたしが可愛がった、小さな娘のほど近くにある。
 その身分はこの先、よほどの手を打たない限り、彼が持ち続けるだろうし、あるいはなにかの失態を演じでもすれば、その命もろとも続かずじまいとなるかもしれない。
「そう、同じなの」
 同じなのだ。あの王国に、なにかを不安定なままに手放してきたのは。そうしてまで為そうとするたくらみは、けれどまだ終わってはいない。誰かに籠められることを、恐れるほどに厭うわたしのはかりごとが成功するかどうかの賭けは、いうなればこれから始まるのだ。
「セシャ、聞いて」
 わたしを水盤庭園から連れ出した時点でのカナルゼンの言によれば、高熱に苦しむ頻度は十日ほどかけて下がり、半月もすれば効果は薄れ、体力こそは失えども健康体に戻るのだそうだ。
 そのことを耳打ちするかのように、彼の体を支えながら告げると、セシャルトリエは、ずいぶん驚いたようだった。わたしよりも高い体温が、まとう衣ごしに伝わってくる。
「私は、おまえが花舟流しに随伴するなどと言ったから、心中しんじゅうでもくわだてたのかと思ったが」
「あなたの体の具合、わたしの肌がどれほど陽で焼かれるか、あるいは風や波や潮の加減、西大陸の商船の航行状況……ひとつでもそこなわれれば、そうなるでしょう」
 わたしはついと、やわらかな紫に染まる空と、その水平線の夜明けを、指先で示す。
「あちらに。夜明けの方角の水平線沿いに、星が見えるでしょう。あの星が見えるなら、うまく、潮の流れに乗れたに違いないの。このまま舟が潮流にのってゆくと、二日の内にゆきあたるはずよ。あなたがたが航行をゆるし、ここ数年で開かれた――クストルからの商船がリトカリタの海を通って、西大陸の他の国々へ向かう航路に。……遭難者の救助は、貿易船の籍を持つ船にとっては、義務のはず」
 水盤庭園の離宮で、めくり続けた書の数々。海図、星図。法制の、航海の、商取引の、かつての花舟流しの記録。わたしが水盤庭園から脱せるとすれば、それはセシャルトリエ王が、その権威を失う時でしかない。
 そしてリトカリタから逃れたいとすれば、わたしは海を越えねばならなかった。
 察したらしいセシャルトリエもまた、朝焼けの海に視線をやりながら、不意に表情をゆるめた。疲弊しきって、やつれた顔で、それでもどこか安堵したように「そうか」と息をつく。
「あれだけ。望まれぬと言われておきながら……私はまた、死に損なうのかも、しれないのか」
 机上の空論でしかないかもしれない。それでも最後までかなう限りをつくし、いきたかった。
 なにせ、水盤庭園の内側から叶うかぎりに手をのばして、わたしが辿りついたかい
 それこそは、こうして慕わしいもの、疎んじたもの、そのすべてを置き去りに、亡き王、あなたと夜明けに臨む、この瞬間なのだから。

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