その石は

母によって託された。
御神の僕によって見いだされた。
ながく、地中に眠っていた。

そして、石は既に母の手を離れ、
王の掌中に隠された。

石の名はしかし記されることなく、
ただ輝石とのみ、今に伝わる。

亡き王、あなたと
夜明けに臨む

2  イシュリシア



 その昔。わたくしは王様の目を盗んでおかあさまの庭園へと訪う日々を、なによりもいつくしんでおりました。
 十年前の当時、リトカリタを統治していたのは、わたくしの年の離れた異母兄あにである、先の国王。繁栄をもたらす王者の徴である紫の双眸を持たぬ彼は、紫の眸を持つ異母妹いもうとであるわたくしを養女として継嗣王女けいしおうじょに据え、神代からの伝統と慣例をもって政を導く、祇敬官ぎけいかん達の後押しで王位を得ました。ゆえに、わたくしは彼のことを、生涯父と呼ぶこととなったのです。
 名を、セシャルトリエ。紫のまなこの偉大なる王者、我が実父クルタトリエの、周囲からはけっして望まれずに生まれた長子でした。
 すべては、わたくしがまだちいさな少女であった時分のことです。正式な名前はまだもたず、ただ真昼の水面とだけの意味であるシュリアという幼名で、わたくしを呼ぶひとは、ただ三人。
 ひとりはわたくしを産んだ先代王妃の、父であったひと。かの方はわたくしが即位した時の為にと盤石な地位を求める一族の棟梁でしたが、彼自身は東と北の海を守護する将軍でありましたので、シュリア様と我が名を呼べども、まみえることはほんとうに少なかった。
 もうひとりは、異母兄であり養父であった先王陛下。クルタトリエ王が退位した当時、権勢をふるっていた祇敬官が、わたくしの即位までの中継ぎにとして……そう、なかば傀儡のように王位につけたようなものでしたので、わたくしはながく、おとうさまから疎まれていたと信じていました。ですがおとうさまがその祇敬官の一族を、王位簒奪画策の罪で多く排斥してからの、たった十年にも満たぬ間。今にして思えばその日々こそが、わたくしたちが感情の糸を絡ませながらもさいわいを得た、最後の安息の日々であったのです。
 そうして、さいごのひとりは……なんと申したらよいのでしょう。わたくしはとうとう、かの方との間におおやけえにしをきちりとは結べぬまま、今日までを生きてきております。彼女の名を、サリュ。古い言葉で輝石との意の、簡素な名だけを持っていた彼女は、わたくしが七つ、彼女が十六を数えた春の夜を最後に別れてしまった、わたくしのおかあさま。彼女はわたくしが『母』と愛情をもって呼ぶたったひとりのひとですが、わたくしを産んだ実の母というわけではありません。それでも、確かにわたくしを愛してくれたひとでした。
 そう、たとえ血の繋がりは持たずとも、この額飾をわたくしに贈ってくださった方でした。
 おかあさまが、どうしておとうさまの宮殿の奥、水盤庭園との名でふるくからしつらえられた離宮に、ひとり籠められていたのか。わたくしがすべての真相を知ったのは、ふたりと今生の別れを経た、その何年も後、家臣から伝え聞いてのことです。
 ですから、こうして語るものごとのはじまりは、わたくしがまだ四つか、五つか、そのくらいだったかしら。生まれた時から暮らしていた継嗣宮けいしきゅうを抜け出して、おかあさまの籠められた離宮へ迷い込んで……その先でそうして跪くこともなく、ただ膝をかがめて視線を合わせてわたくしの名を尋ねてきた彼女を、慕って以来のこと。
「ごきげんよう、シュリア。おいで、お茶も淹れてあるから」
 わたくしが水盤庭園を訪って、そっと窓辺を指先でたたくたび、そんなやわらかな言葉とともに出迎えてくれたひとの前でだけは……わたくしは、小さな子供でいられたのです。
 生まれながらに、月下の白波しらなみの髪と紅夕陽べにゆうひの眸、そしてわたくしたちの焦げた蜜色の肌とは異なって、淡い色の肌を持っていたため、昼の陽の光をひどく苦手としていらっしゃったおかあさまを訪うたびに。その頃はまだサリュと、そしてシュリアと、わたくしたちが互いの名を呼び合っていたのは、いつだって小さな離宮のすべての戸と窓を閉め切り、布できちりと隙間を覆い、日暮れのように暗くなった部屋の、蝋燭のたもとでのことでした。
 わたくしはそんな薄明りのたもとで、閉じ籠められた娘というわりには驚くほどに博識だった彼女とたくさんのお話をして、さまざまなことを教えてもらったのです。顔も知らぬ生母以上に、サリュを姉とも母とも慕った日々が、『継嗣王女殿下』ばかりに跪いて、シュリアの言葉など聞いてはくれない王宮で生きるなかで、どれだけ輝いていたことか。わたくしをわたくしたらしめるその記憶は、女王と名乗っても、生涯忘れることはないでしょう。
 昼日中ひるひなか、おかあさまを訪うひとは、ただわたくしだけでした。なにせ、おとうさまは誰かがおかあさまを訪うこと、その存在を知ることを、たやすくは許さなかったからです。彼はそれほど厳しくおかあさまの存在をあかさず、宮殿の奥深くに隠し籠め、必要なものごとを言伝ことづてるために、家臣であるカナルゼンひとりの行き来を許すのみでした。わたくしの訪いとて、おとうさまに訴えたおかあさまの声なくば、早々に途絶えていたことでしょう。
 生まれて間もなく、実父クルタトリエが、病によりたおれ、花舟流しと処されて。わたくしを産んだばかりだった生母も、王妃としてその旅路に随伴し。異母兄王の跡継ぎと定められて。それからの月日の中で、わたくしは千に届くほどの午後を、おかあさまとともに過ごしました。けれど常々、夕暮れ時には「もうお帰りなさい」と、継嗣宮へと帰されたのです。
 夜半を過ぎた頃に、時折におとうさまが、ひとりおかあさまを訪っていたからだと。
 そんな理由をある夕に知ったことが、わたくしがふたりを、父と、母と慕い、またそう呼ぶようになった契機でした。
 わたくしが、水盤庭園の離宮に、大切にしていた髪飾りを忘れ。そうして心細く、送り出された場所へ駆け戻った夕、陽の落ちかけた庭園で垣間見たのは、厚い肩掛けをヴェールのようにかずいてその白波の髪と肌を隠したおかあさまと、彼女に出迎えられた、すくと長い焦げた蜜色の手足の青年――そう、刺繍入りの薄衣うすぎぬと金環で幾重にもその身を彩られた、リトカリタ王セシャルトリエ。わたくしとは、最低限の交流すらも持たずにいた、凍てついた眸の異母兄だったのです。
 思いもよらなかった人の姿に、呆然と立ちすくむわたくしに気づいた彼の方からすれば、遭遇は望ましくはなかったのかもしれません。おとうさまはおかあさまの肩を抱いて強引に離宮の内へ身を入らせ。誰もいなくなった庭園には、どうしてか留まってはいけない気がして、髪飾りのことも忘れて足早に継嗣宮へと帰ったことは、今でもよく憶えております。
「あれは、シュリアがここに来るのを許せと言ったけれど。それで、シュリアはどうなの」
 おとうさまが夕暮れよりも前に水盤庭園を訪ってそう告げたのは、その次の日のこと。
「サリュは、わたくしのおねえさまよ。わたくしのこと、大好きよって、言ってくれるわ」
「……そう思うならあれのことを、姉だなんて呼ぶのは、やめな。名前で呼ぶのも許さない」
「い、やよ。わたくし、サリュのこと大好きだもの。それにサリュのこと誰にも言っていないわ。だから、サリュに会いにくるの、わたくしだけなの。わたくしがサリュの名前を呼ばなくなったら、わたくしもサリュも、誰にも名前、呼ばれなくなっちゃう。いくらおとうさまが閉じ込めているからって、そんなの絶対に嫌よ!」
 わたくしはその時、怯えながらも必死だったのです。なにせ、宮殿でたったひとり、しあわせをくれた人なのです。おとうさまに刃向うようにすら、言葉を紡ぎました。
 しばらくの沈黙の後おとうさまは不機嫌そうに、おおきく息を吐いてわたくしへ言いました。
「おまえが私の娘だなどといって、不満を振りかざして噛みつくのなら……あれの、サリュのことは、母とでも呼べばいい。代わりに、私が名を呼ぶから」
 わたくしが、家名もなくしておとうさまに籠め隠されていたサリュを母と呼んだのは、それからのことでした。ただ、両親と娘。そんな家族の形ができたように錯覚し離宮へ駆け入って、心中を満たした暖かさを隠さずに、わたくしはおかあさまと呼ぶことになったひとへと抱きついた。その時、確かにわたくしはしあわせを手に入れたのです。
 もちろんその当時ふたりは、夫婦であったわけではないのです。籠める者と籠められる者。彼らは、最後の一瞬を除いては、終生そのような関係でしかなかった。ですけれども、互いに気にかけてはいたようですね。いつだって、誰にだってきつく冷たい表情しか向けないおとうさまが弱ったように笑いかけたのは、後にも先にもおかあさまに対してだけでしたし、感情をあらわしているのを見たのも、水盤庭園においてのみでした。
 けれどもそのようなさいわいの日々は、片手の指ほどの年月も続きはしなかったのです。
 即位当時、影で傀儡王と称されたおとうさまが、王位簒奪を企てた時の後見、祇敬官カラフ一族の所業を許さず、カラフという名もろとも消し去って廃族はいぞくとした時。
 計画に関わった可能性のある者たち、特にカラフの本家ならびに分家に連なる者たちは、家長のことごとくが首を落とされ、また近縁は罪人の烙印を額に刻まれ、国外へと追放。そして一族はことごとくが連座で西海の孤島へ流刑と処され。それは厳しい処罰となったと、わたくしとて話には聞いていました。
 ですから、その報せを聞いた時、納得もまたいったのです。
 曰く、カラフ廃族事件の残党、西海流刑島にて蜂起せり。
 かくて戦支度を整えた王軍は、カラフ本家の四男であったものの、当時、いにしえより続く縁ゆえにたった一国、隣国として交流のあった、クストルの重鎮のもとで養育されていたため連座を免れたカナルゼン・カラフ。その温情から新王に篤き忠誠を誓った若き家臣を副将とし、リトカリタ王セシャルトリエの名のもとに親征を行いました。
 西海鎮守征せいかいちんじゅせいと。かの戦から十年がたった今、そう呼ばれている名を、ライゼ様も聞いたことはあるのではないでしょうか。
 そう、数えてみればおとうさまが十七、おかあさまが十六。そしてわたくしが七の齢を迎え、そしてこの身が女王として即位する、わずか二月前の晩冬のことでした。



「西海鎮守征、というと。それではセシャルトリエ陛下は」
「ええ。……それが、異母兄王あにおうの最後の戦となりました。もちろん、ライゼ様もご存知のとおり、蜂起の鎮圧と、その後に続いたかつての流刑地島の鎮守は成功し、王軍の駐留は事態の重さから、今日まで続いております。その時こそ、我が国における王者の条件、五体を損なうこともなく帰り来ましたが――けれども、戦傷がもとで一週間の間、先王セシャルトリエは高熱を得、床に臥せり続けたのです」
 それがわたくしたちの運命の分かれ目でした、と。口ずさみながら脳裏によみがえる、懐かしいひとの記憶に、イシュリシアはライゼへ語る言葉に、よりいっそうの感情を籠めた。

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