「王様が星を絡め落とした。女王様の膝へ落とした! 王様の騎士もそれを真似した。貴婦人の膝へ星を落とした! なんてきれいなんだろうね。なんてやさしい光だろうね。だけど、ねえ、かわいい坊やが泣いているよ。父さん、母さん、かえしておくれ、あの煌めいた夜の国へと!」
 夕暮れの街に、子供たちの歌声が響き渡る。無邪気な遊び歌が、教会の鐘がたからかに鳴る下で紡がれた。
 その歌声と鐘の音にまぎれて、教会の裏手にある、小さな扉がそっと開かれた。
 きなりの布をたっぷりとつかったドレスが、風をはらんでふわりと揺れる。誰にもみつからないようにと願いながら、二人はたがいの手と手をとりあい、教会の階段をかけおりた。しなやかに石畳に降り立った軍靴を追って、深紅のまあたらしい靴が最後の段から跳ねれば、ドレスの裾に縫い付けられたましろのレースが、さらけだされていた少女の細い足首を覆う。けれどそれも一瞬のことで、蝶をかたどった裾飾りは、腰にゆわいたリボンとともに、すぐにまたひらりと舞い上がった。
 そのまま二人は石畳をはしりぬけて、薄暗い路地裏の灯をたどり、黄昏の街へおどりでる。それぞれ黒と紅のふたいろの髪を背に、人のまばらに行きかう中を走りゆけば、人々の視線は自然、手を繋いで駆けてゆく少年と少女にあつまった。
 夜色の軍服の少年に手を引かれた少女が、さながら花嫁のまとうようなドレスの裾をたなびかせるのは、嫌でも人目をひいた。群衆の中にはふと立ち止まり、二人をしばらく視線で追う者もいたが、彼らは構わずに、通りを走り抜ける。
 やがて広場に出たところで、ようやく二人は歩調を緩めた。
 劇場へ続く通りに面した、街の中心である噴水広場には、恋人を待つ、友人と歩く、家族たちと手を繋いだ、たくさんの人々がごった返していた。うっかりとすればのまれかねないほどの人の多さに少女が戸惑うと、少年が「気をつけて」とささやく。彼は繋いだ手を自分の方へ引き寄せると、彼女を庇うようにして人波の中を歩きだした。
 互いに身体を寄せ合いながら、二人は人の流れに逆らって、にぎやかな宵の通りとは外れた方向へ歩を進める。
「軍人さん、どこかへおでかけ? 彼女に一つ、お花でもどう?」
 人の波から抜け出せば、不意に花籠をさげた娘から、明るく二人へ声がかかった。
 差し出された淡くもたおやかな花飾りを、少女が物珍しげにしばしみつめるのに気がつくと、少年は愛おしそうに笑んで言う。
「ねえ奥さん、花をおのぞみなら、きちんとおねだりしてね?」
「ほんとう? それじゃあ、旦那様。私、野に咲くような花が欲しい」
 楽しそうに、さも当然のように付け加えられた呼び名に、少女も顔をほころばせて「だっていままで一度も、見たことがないから」と付け加えた。
 旦那様と呼ばれた彼は青年と言うにはあどけなく、羽化しかけているたくましさよりも少年のあざやかさの方が勝る。奥さんと呼ばれた少女もまた、紅の髪は嫁いだ女がするように背できちんと編み結わいてはいるが、人の妻というよりは深窓の令嬢とでも言った方がふさわしいほど、まとう空気はたおやかにして無垢だった。
「それじゃあ、水色の花束を。おいくらですか?」
「銀貨、一枚です」
 花売りの娘がとまどいながらもわずかな花とつぼみでかたちづくられた小さな花束を手渡せば、少年は「どうも」と受け取った花束をほどき、少女の胸元のリボンに飾る。「ありがとう」とはにかんだ少女に「似合ってる」と微笑むと、彼はポケットから一枚の硬貨を取り出して、花売りの娘へ握らせた。
「ちょっと、軍人さん! これ金貨!」
 そうしてふたたび少女の手を引いて歩調をはやめた少年へ、ふと手の中の硬貨に違和感を憶えてあわてて確認した花売りが驚いて叫ぶ。銀貨一枚の価値の花に、金貨の支払い。けれど彼女が叫ぶ頃にはもう、少年と少女はゆきかう人々の中に消えていた。
「よかったの? お金って、大切なものなのでしょう?」
 いままで、ずっと城という名の箱庭で暮らしてきたからか。世のならいも伝え聞いただけしか知らない少女が心配そうに尋ねる。日暮れの街を走りながら、「うん、そうだね」と少年は答えるも、すぐに「でもね」と続けた。
「これから必要になるわけでもないし。なにより、その花があなたをはぐくんだこの国の、さいごのおもいでになるのなら、それくらいの価値もあると思ったんだ」
 やがて、かたく手を繋いだ少年と少女がたどりついたのは、街外れの古びた駅舎だった。
 街の中心に新しい駅ができてからの数十年は、廃れさびれてしまっている門扉を、二人は迷わずくぐりぬける。その瞬間、姿は見えぬも確かに響く人の声と、そして機械の音がざわめく音が二人を包みこんだ。
「あら、戻ってきたのねえ。よかった」
「随分とながいことかかったな」
「お二方、あちらでもお幸せにね」
「ほら、ゆくのならお急ぎ。もうすぐ汽車が出るよ」
 姿はなくとも、灯によって地面には、声の主たちの影は映る。女の、若い娘の、青年の、男の、いくつもの影たちが、二人をみとめてざわめいた。
 久方ぶりの光景に少しばかり懐かしさを憶えながらも、影の間を縫って二人でゆけば、やがて蒸気機関車の止まるホームへ辿りつく。
「……ねえ、奥さん。それじゃあ、これでこの国とも、お別れでいいね?」 
「もちろん、旦那様。そだててもらった分は申し訳ないけれど、ここにはもういられないもの」
 歩調を少しずつゆるめながら少年がたずねれば、少女が少しさみしそうに続けた。
「だからね、お願い。この手を離さないでね。また離れ離れなんて、そんなこと」
 ――もう二度と、嫌だからね。
 きっぱりと言い切る彼女の声の半分は、蒸気機関の発車を知らせる、ベルの音にかき消された。けれども絡めた手と手をそのままに、少年へと縋りついた少女の行動に、彼は彼女を思うがゆえに揺らいでいた決意をふたたび固める。そうして、さいごの選択肢を選び取る。
「……うん。そうだね。それじゃあ、一緒に行こう」
 その言葉の通りに、彼は発車のベルが鳴り終わる間際、汽車の中へとすべりこんだ。もちろん、少女を抱き寄せて。二人が車内に身を収めたその瞬間に扉は完全に閉まり、汽車はゆっくりと動き出す。もう、これで、二度とこの世界には、いまの形でもどれはしない。
「さよならって、言ってみる?」
「ううん。絶対に戻らないけれど、言わない。お別れの挨拶を言うなんて、まるで名残惜しいみたい。未練があったら、きっとあの夜には辿りつけない」
 誰もいない車内を歩きながら、少年がふとつぶやけば、少女はきっぱりと言い切った。
 ……むかし、むかし。この街がまだ都の一画ではなかったころ。国なんてまだなかったころ。この地にはただしく、魔法ともまじないとも呼ばれるふるい力がそなわっていて、ふるい世界に生けるひとびとが棲んでいた。この古い駅舎も、そんなふるいふるい、忘れられた力のそなわった土地の、ふるい世界の住人の棲家のちょうど真上に建てられた。そしてそんな駅で、いま二人はいまや他界となった夜の国と、地上とを結ぶ汽車に乗った。時代に合わせ、ふるい世界はいまの世にもまぎれこむし、その逆もしかりだ。
 魔法、他界、ふるい世界。それらはすべて妖精譚で御伽噺。そう、いまでは語られるけれど、二人にとってはそれは、たったひとつの故郷の話。
 かつりかつりと靴音をたて、車両を幾つか通り抜ける。
 やがて手近な客席へ腰をおろし、そっと車窓へ視線を遣れば、さきほどまで二人駆けていた街が、はるか下方に輝いていた。
「これで、やっと、帰れるね」
 眼下に街をみおろしているというのなら、確かにいま、二人の乗った幻の蒸気機関車は空を駆っているのだろう。疑うべくもない。この汽車に乗って、二人は一緒に帰るのだ。あの日そうと知らずに王が、騎士がふるったふるいまじないによって、夜の空から絡め落とされた二つの星を乗せて、いま夜の国からの迎えの汽車は、二人の故郷へと駆けてゆく。
 騎士の子と生まれた。王の娘に生まれた。いま手を繋いでいるように、たがいの手と手をとりあって夜の国を駆け巡っていたあの日、絡め落とされたつがい星は、口惜しくも人の子と生まれさせられた。何度、どうしてあの時に手を放してしまったのだと悔いただろう。だからこそ、都の王城で再会した時、心底驚き、安堵した。
「ねえ、旦那様」
「なにかな、奥さん」
 けれども城から一歩も出た事が無かった王女が、初めて出会ったはずの騎士血統の軍人を「アルク」と呼んで抱きしめたのは、軍属とはいえ貴族でもない少年が、王女を王女の名ではなく「リーテ」と呼んで泣き笑ったのは、地上の人々から見れば、さぞかし奇異に映ったことだろう。
 そのまま二人で「帰ろうね」と笑いあい、驚き止めようとする人々など見向きもせずに、手を繋いでこの都のはずれの街角まで駆けてきた。
「まるで、駆け落ちてゆく恋人みたいだったね。私たち」
 少女が、リーテがつぶやけば、アルクと呼ばれる少年も「そうだね」と返して言った。
「でもこれで、またつがいとして、ずっと一緒にいられるよ」
 きっと地上の国では、王女と軍人がともに姿を消したと、あるいは軍人が王女をさらって姿を消したとでも、すぐに人々は語るだろう。それでもどんなに語ろうと、探そうと、きっと二人は見つからないし、帰ってもこない。
 それに代わるかのように、世界の果てのふるい国、煌めく夜の空にはきっと、久方ぶりにつがい星が姿を見せる。なにせ、双星は繋いだ手と手を、離そうとはしないのだから。

 

 そうして。
 世界の果てから欠け落ちた二人は、今宵その手をふたたび繋ぎ、世界の果てへと駆け落ちた。

 

 




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