僕はあなたがいとわしい





 ちいさな、リゼ。僕はあなたがいとわしい。
 この脆弱な身を、あなたは小さな鳥と呼ぶ。私の小鳥。だいすきだからね。そう、朝な夕なに嘯くあなたへ、『小鳥』はそうですか。とさえずるのが常だ。
 この小さな屋敷に、リゼと『小鳥』は棲んでいる。
 この国中のどこにあるともしれぬ、この年経りた屋敷で暮らすのは、彼らの他には年代物の機械人形だけである。
 それゆえ、おもえばかつてはこどもだったリゼと『小鳥』は、少年と少女に成り育つまで、ながく二人きり、ずいぶんと寂しい日々を送っていた。
 リゼは、庭の花を愛でることを好む。だから、『小鳥』はよくよく、庭には注意を払っている。
 ひととせのめぐりゆくあいだに、どうぞ花の芽吹かぬ季の無いようにと。庭に気を配り、悪天候の日は気をもむというのは、しょうじき随分と疲れる事ではあったが、それらを放り出すなどという事はあってはならぬ。なにせ、リゼを喜ばせるために、『小鳥』は飼われてひさしいのだ。
 天気の良い日、リゼはそのように、『小鳥』が丹精した庭でお茶を飲む。
 給仕はもちろん、リゼを喜ばせるたったひとりである『小鳥』だ。他の機械人形はアンティークドールと名高いとおり、機転が利かないし、また給仕の機能がくみこまれた者は、おおむね屋外での活動に向かない。
「よく晴れたね」
 その午後も、リゼは懐古趣味の絹とレースとリボンと天鵞絨、それから銀の装飾に身を包み、あたたかな紅茶を前に幸せそうだった。陽は燦と庭を満たし、『小鳥』がカップと揃いの白磁のティーポットをテーブルに添えるのを見ては、嬉しそうに笑んでいた。
 『小鳥』の短い黒髪とは対照的な、リゼのあかるく真白めいた淡い金髪は、今朝方『小鳥』が丁寧にまとめてリボンでくくったのだが、そこにはいまや花の一輪が咲きほころんでいる。庭で咲いた花をいたく気にいったちいさなリゼが、揃いにといって『小鳥』に摘みとらせ、己の髪にささせたのだ。そして『小鳥』の胸元にも、いまや花は、ささやかに添えられている。
「晴れたら、またお茶をしようね」
 リゼはそう笑って、陶器の小皿に盛りつけられた、小さくあまやかな宝石を、指先で弄んだ。
 『小鳥』の知らない、ショコラと名を称す濃茶の菓子は、いわくとてもあまやかで、そして時折苦いのだという。恋情の味がするのだと、言って。リゼは今日とても『小鳥』に見せつけるようにして、あかい唇で宝石を食んだ。
「私の、小鳥」
 そうして、呼ぶ声に応えて僅かに距離を縮めた、細長い手指に。『小鳥』のいわくところの『恋』をつまんだ白い指先で、ぎこちなくたわむれかけて。それからリゼは、満足そうに手を繋ぎ、しなやかに、『小鳥』の灰色の双眸をのぞきこむ。
 そのような仕草は、愛らしい見目に、よく、似合う。
「明日も、きっと晴れるといいね」
 だからこそ、『小鳥』はリゼがいとわしかった。
 このうつくしくいとけない、小さな主人がいとわしかった。
「明日も、きっと晴れますよ」
 ゆえ、さえずるように、『小鳥』はうたう。
 この屋敷の外を、リゼはしらない。
 この屋敷の内ほど、うつくしいものを『小鳥』はしらない。
 晴れた昼下がりを、リゼは綺麗な光だといって楽しむ。けれどもみじめな『小鳥』からすれば、暖かい真昼のひなたなどというものは、この屋敷にて飼われるまで、正直なところ縁のないものであった。
 なにせ、『小鳥』は買われてきた身である。
 それ以前のことはとうに捨て去って久しいが、とにかく『小鳥』は買われてきた身で、飼われる身である。
 いくらリゼに慕われようと、そのような身であるのだ。
 あとは言うにも、及ぶまい。
 ……リゼ。
 ちいさな、リゼ。
  (しもべ) はあなたがいとわしい。
 この箱庭の屋敷で守られて、守られて、守られて。
 大切に育てられる、貴い品々に囲まれる、あなたの尊さのにじむ暮らし、笑み、仕草、すべていとわしい。
 羨ましいだとか、妬ましいだとか、そのようなことではなく、ただ、いとわしい。
「ねえ、私の小鳥」
 リゼ、との幼い愛称で呼ばれる、『小鳥』よりも幾分か年下の主人は常々、いう。
「だいすきだよ」
 あまやかに。
 そう、この声が――いとわしいのだ。
 『小鳥』が『小鳥』でなくなるがごとく、『小鳥』が『私』を思いだす。思いだしたくもない、『私』がよみがえる。
 だから、『小鳥』はあなたがきらいだ。
 うつくしい少年。こちらをみつめていとおしいと嘯く、いとわしいリンゼイ。
「然様ですか」
 かくて、『小鳥』はいつものようにしとやかに微笑むと、簡素なドレスの上にかけた給仕の為のエプロンを、あいているもう片方の指先で軽く、こらえるように握った。



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